2017年7月21日金曜日

偉大な先達

豊臣秀吉の正室、北の政所こと寧々の隠居所と言われる有馬の念仏寺第25世、永岡大純老僧が、18日、91歳を一期として遷化されました。俳号を「うろお」と申された老僧は、播水の大黒柱のお一人として活躍され、同人会の会長として、同会の発展に尽くされました。

私が血液癌で入院した今から15年前、御丁寧なお見舞いをお送り頂き、長文のお手紙で励まして頂きました。退院後も、お寺を訪ねる度に、播水時代のお話を聞かせて頂きました。鳥の話がお好きでした。「へー」と相槌を内ながら、熱心にお聞き下さいました。雨がひどいからもう暫く居りなさいと、なかなか帰して頂けない事もありました。

焼香者の名前が読み上げられるのを聞いていて、その交際範囲の広いのに驚きました。宗教関係の仕事は申すまでもなく、地域振興などの様々な公職にも付かれ、大きな貢献をされた事が良く分かりました。

我が九年母会は、哲也先生に続いて、偉大な先達を見送りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

       発たれたる咲き継ぐ沙羅を見届けて   伸一路

本部では、弔句を募集しています。お志の方は、今月中に編集部へ1句をお送り下さい。送付先は九年母誌の連絡先を参照して下さい。

2017年7月12日水曜日

遺品の整理

今日7月12日午前10時、五十嵐家ご親族4名、姫路市立文学館の学芸員2名、九年母会からは私1名の合計7名が播水旧居に集合、播水の遺品の整理に取り掛かりました。押入の中には、播水の旺盛な作句活動と幅広い交友を物語る、膨大な量の遺品が仕舞われていました。それを少しづつ運び出すのが私の仕事。

運び出した遺品を文学館の学芸員が仕分けし、文化的価値の高いものかどうか判断します。虚子から播水宛てに送られた書状等、震えが来るような貴重品が続々出て来ました。播水の軸だけでも数十本。昼食を挟んで約4時間、大量の遺品が纏められ、目録に整理されて文学館に寄贈されました。

遺品は文学館に於いて整理・分類され、温度と湿度が管理された収蔵庫にて保管されます。文学館では、今後時期を見て、郷土の偉人を顕彰するイベントが開催されることでしょう。今回の整理により、播水旧居と九年母会とは縁が切れました。しかしこれに代わって、姫路文学館が私達九年母会員の、新しい心の拠り所となる事でしょう。

2017年6月29日木曜日

私の経営方針

今日29日に九年母7月号を発送し、8月号の編集に取り掛かりました。早ければ明日に、通常でも週明けにはお手元に届くと思います。今月の大きな仕事は、8月号の「選後に」の執筆を残すのみとなりました。九年母誌での私の担当は9ページ。原稿用紙に換算しますと12枚ほどになります。これが毎月ですから、素人の物書きにとっては、結構な量です。

1ヶ月間、我ながらよく働きました。明日は、溜まっている身辺の整理をして、久し振りに、大好きなお風呂(スーパー銭湯)に行ってこようと思います。

結社の主宰の仕事で一番大事な事は、結社の経営です。結社を発展的に継続的させて行く事です。結社を開設して主宰になり、自分一代で解散する人が、それこそ星の数ほどいますが、これは真面目に俳句を学ぼうとしている会員にとっては迷惑この上もない事です。

結社を続ける上で、最も大切な事は経営です。主宰が俳句が上手なくらいでは、結社は続きません。俳句が上手な人は、世の中にいくらでもいますが、結社の経営が出来なくて止める人も、いくらでもいます。

結社の経営は主宰一人では出来ません。野球でも監督の下に沢山のコーチ陣がいて、監督を支えて、チームを率いて行きます。名選手が引退すれば名監督になるとは限りません。長嶋監督や王監督の様に理想的なケースもありますが、大半はそうではないようです。

相撲界でも、名横綱が名親方になるとは限りません。むしろ、下積みで苦労した親方の方が、名力士を育てている様に思います。下積み時代の苦労とその間に培った人脈、そして親方本人の力量と人間性、この様な要素が相俟って、相撲部屋が発展・継続し、名門と呼ばれるようになるのでしょう。現役時代の最高位は小結だったとしても、むしろその方が名力士を輩出する立派な相撲部屋になるのでは、と私はおもいます。

俳句の世界も同じです。一将功成って万骨が枯れては、俳句結社にはなりません。むしろ一将枯れて万の会員が世に出る事こそ、大事だと思います。

2017年6月21日水曜日

第3回桔梗大賞表彰式

18日は赤穂の佐越へ本部吟行、19日は香住の桔梗大賞の序幕式と表彰式。2日間で合計9時間、500㌔の列車の旅でした。新幹線の様に揺れが少ない車両と違って、播但線はディーゼル車。良く揺れます。それでも、植田の空を飛ぶこうのとりの姿と、遍照寺で拝見した桔梗の花の美しさに疲れが吹っ飛びました。
 早いもので、桔梗大賞も3回目の句碑の除幕となりました。式の詳しい事は、遍照寺のホームページでご覧ください。除幕式で紐を引っ張っている私の姿も掲載されています。毎年この時期に、選者の一人として表彰式に参列しているのですが、年々寺域が荘厳されて来ているのを感じます。元々は雨漏りのするような荒れたお寺だったそうですが、今の和尚が住職になられてからは立派に改修され、古刹の趣が出て来ました。和尚が植えられた桔梗の数も千株を超え、大賞の記念句碑も3基目となりました。庭に大きな岩が新たに配されたり、お堂の修理が始まったりと、和尚の願いが着々と実現して来ています。夢を持つことの大切さを教えられます。
 今年は、これも和尚の永年の夢だったのですが、CDを使って境内に野鳥の囀りを流されました。余り大きな声で流すと、近所に縄張りを持つ野鳥が混乱しますよとアドバイスを差し上げておいたので、境内の中だけで聞こえる様に調整されているようでした。
 昨年の第2回の大賞受賞者である山谷彰子さんは、ディフェンディング・チャンピオンとして、第1回目の受賞者と共に来賓席に着かれました。今回は残念ながら、他の結社の方が大賞を受賞されましたが、当会の7名の方が入賞・入選されました。詳細については、お寺のホームページの作品一覧をご覧ください。
 第4回目の募集が始まります。桔梗の花も次々に咲いて来ています。慈悲だとか仏恩の様な宗教的な概念を詠むと、観念的な句になります。今回はそのような句が目に付きました。俳句の基本である写生をしっかりして、その上に想いを添えるという詠み方を忘れずに、大賞を目指して頑張って下さい。
名物だった三姉妹船長の遊覧船が、昨年11月末で廃止され、寂しくなりました。恰好の句材だってのですが、観光客が減って採算的に難しくなったのでしょうね。いつの日にか再開される様、願っています。写真はお寺のホームページより拝借しました。

2017年6月14日水曜日

御田植え

昨日は、午前中が新長田で句会、午後が六甲道で勉強会、夜は6時から兵庫県俳句協会の常任理事会と、食事の時間すらないトリプル・ヘッダーでしたが、今日(6月14日)は、ご招待いただきました住吉大社の御田植神事に参列して来ました。昨年は仕事が重なり、九年母会の監査役ほか数名の方に代参をお願いしましたが、今年は発行所と編集部計11名の皆さんと出かけました。

11時に南海電車の住吉大社駅の改札口に集合、隣接する住吉公園の木陰のベンチで早目の弁当を摂った後、受付へ向かいました。受付でチェックを受け胸に付けるリボンと資料を頂き、招待席へ向かいました。テント席で涼しく、まさに特等席でした。

神殿で関係者の儀式が行われている間、私達は各自の席で、神官の小出さんの御田植えに関する解説(場内放送)を拝聴しました。神功皇后の頃から説き起こし、新町廓の遊女たちによる御田植の復興の話など、大変勉強になる内容のお話でした。この方の博識と優しく丁寧な語り口には、いつも感服しています。

午後2時から様々な神事芸能が披露され、その間、牛による代掻きや田植えが粛々と進みました。今まで何度か参列していて気付かなかったんですが、武者の行列や子供たちが扮した雑兵による棒打ち合戦は、戦国乱世の時代に於いて、農民たちが農地を守るために戦った有様が再現されているのではないかと思いました。

1800年の歴史を有するお宮に、優雅な時が流れました。まさに時代絵巻でした。

      伝え来し遊女の絆御田植    伸一路

左の写真は武者行列、下は八乙女(やおとめ)の舞を舞うため舞台へ進む神楽女(巫女)の列。田の左下隅に代掻きの牛が見えます。
中央奥の舞台で、様々な神事芸能が演じられました。

2017年6月7日水曜日

業平忌

 在原業平という平安時代の歌人が居りました。平城天皇の皇子である阿保親王の皇子として生まれ、在原姓を賜わりました。在五中将と称され、六歌仙の1人とされています。「伊勢物語」の主人公のモデルに擬せられ、美男の代表格とされています。
 光源氏のモデルとされる兄の行平も在原姓を賜わり、正三位中納言まで昇りましたが、とある事件に連座して暫く須磨に身を退きました。その際に身の周りの世話をした「松風」・「村雨」姉妹の悲劇は有名で、今も残る「松風村雨堂」は姉妹が結んだ庵の跡だといわれています。また多井畑には二人の墓があります。
 父君の阿保親王は芦屋に住まわれ、阿保親王塚と称する墳墓が芦屋市内に残っています。芦屋市内にはこの他、業平の屋敷跡とされる場所や、業平町、業平橋、業平公園等、業平の名を付けた町や施設があります。中でも、国道2号線が芦屋川を越える業平橋は、レトロなデザインで有名です。
 先日の汀子先生宅の下萌句会は、母の見舞いで欠席しましたが、その欠席投句の結果が帰って来ました。5句投句で4句入選でした。業平忌という題が出ていたのですが、その題では次の句が汀子先生の選に入りました。

     特選    橋の名に公園の名に業平忌      伸一路
     入選    気に入りしジャケット試着業平忌   同

特選の句は、上記の説明でお分かりになると思います。業平忌の季題で詠んだ句としては珍しいと評価されたのでしょう。入選の句は、ダンデイーだったであろう業平のイメージを拡げて詠んだものです。難しい季題ですが、イメージを膨らませて詠む事が大切です。詠めないと嘆くのは、詠む気が無いだけのことです。
     

2017年5月28日日曜日

「河内野」50周年記念大会

今日は、「帝国ホテル大阪」にて開催されました、俳誌「河内野」の50周年記念大会に出席して来ました。お招きいただきました山下美典主宰や、お世話を頂きました会員の皆さんに、お祝いとお礼を申し上げます。出席して、その規模の大きさに驚きました。「帝国ホテル大阪」孔雀の間に参集した会員は420名、来賓の数は驚くなかれ81名、参加者の合計は501名でした。

先日の伝統俳句協会関西支部奈良大会の選者控室で山下美典主宰が「500名集めます」と仰っておられましたが、事実その通りとなったのです。最近ご招待いただいた「未央」や「田鶴」の記念祝賀会でも、参加者は220〜230名程度。「九年母」1000号でもその程度でした。それに比べると、今回の大会の動員の凄さが分かります。

来賓の数が81名というのは前代未聞。「九年母」1000号の時の来賓十数名と比べるとその違いは歴然。汀子・廣太郎・安原葉・大久保白村の各先生方や俳句雑誌の関係者、衆議院議員や関係市町の首長、新聞関係者、関西一円の俳誌の主宰・副主宰、関西在住の主要なホトトギス同人など、実に多彩な方々を招待しておられました。「九年母」からは私一人だけでした。

印象的だったのは、北海道から九州まで、各地の支部や句会のそれぞれの集合写真をスライドショウで紹介した事です。参加できなくてもせめて写真だけでも、という思いが伝わって来ました。

アトラクションは、「河内野」同人の男性とその娘さんによるベートーヴェンの「第九」から「歓喜の歌」の合唱。宮川花子師匠による漫談、二代目京山幸枝若師匠による河内音頭。河内音頭は、約20分間、女性会員の皆さんが揃いの浴衣姿で会場内を練りながら踊られ、廣太郎先生も飛び入り参加されて、大いに盛り上がりました。

それにしても、いかにも大阪人らしい、太っ腹の記念祝賀会でした。
         (写真をクリックすれば拡大して見られます。)