2017年11月17日金曜日

九年母の由来

11月に入って最初のブログがこんなに遅くなるとは、思いも寄らなかったのですが、それだけ私の身辺が多忙という事でして、決して病気で寝ていたわけでも、怠けていたわけでもありません。

9日は千鳥句会で六甲山の布引の滝へ吟行、芸術センターでの句会を終えてその足で上京。翌10日の関東支部の恩賜浜離宮公園での吟行句会に参加して帰宅。翌11日は関西ホトトギス同人会の句会と懇親会、翌12日は関西ホトトギス俳句大会に参加・・・こんな調子の毎日で、ブログを書く時間が取れませんでした。

しかし、今日で原稿の山を越えましたので、久し振りにパソコンに向かっています。この間、ホームページで入会を申し込んで頂いた方が2名、会員の紹介で入会された方が1名居られ、会員の動向に変化の兆しが出て来ました。嬉しい限りです。

会員の中からも、より上級のホトトギスの句会に進まれた方が3名あり、これも嬉しい事です。主宰に就任して以来、来年3月で3年になります。今でも私の指導の仕方に苦言を呈して来られる方が有りますが、皆さんのご協力のお陰で、九年母はますます活気が出て来ています。若い会員の活躍も嬉しい事です。その証拠が先日の関西ホトトギス俳句大会での成績です。廣太郎主宰の特選8名の内の4名が九年母会員、入選に至っては枚挙に暇が有らず。私が一番成績が悪いくらいでした。

関東支部の吟行で、面白い写真を撮って来ました。九年母の実です。苑内に九年母の大樹が有り夏蜜柑ほどの実が、沢山成っていました。九年母は室町時代後半には日本に到来していて、この大樹も、江戸時代の中期にはこの苑に植えられていたようで、由緒のある結社名であることが分かりました。誇らしい事ですね。

2017年10月31日火曜日

大活躍

昨日は、第26回摩耶山俳句大会が、奥摩耶の神戸市立「自然の家」にて開催されました。台風22号の余波で朝から強風注意報が出、開催が危ぶまれましたが、摩耶山天上寺の伊藤浄厳(虚舟)貫主の法力により、137名の参加を得て見事に開催の運びとなりました。
強風の影響で「まやビューライン」のケーブルカーとロープウエーが運休になり、30名前後の方が諦めて帰られたようですが、沢山の方がタクシーを乗合で利用して摩耶山に登られた事は、参加者の熱意を物語るものだと思います。

我が九年母会からも30名を超える方が参加され、互選や12名の選者の選に活発に名乗りを上げておられました。私の予選25句の内11句が九年母会員に句でした。その結果、

    摩耶山大賞   颱風の洗ひ上げたる今日の晴    白井貴佐子
    観光協会賞   一山の露の深さに辿り着く     武本敬子

という結果が得られました。お二人が通っておられる教室を担当する私にとっても、大満足の結果でした。「九年母」正月号に大会記が掲載されますので、九年母会員の皆様のご活躍をご覧ください。

    息を呑むほどとは櫨の紅葉かな    伸一路

この句は汀子選の秀逸を頂きました。今回は選者の先生方の名乗りが比較的少なく、その分、九年母会員の声ばかりが聞こえていたように思います。ただ、名乗の声が小さい方が居られました。来年は私の中継ぎが要らないくらい大きな声で名乗って下さい。今年も「九年母さん、すごいね」という声が聞こえていました。
来年は10月29日(月)に同じ会場にて第27回の大会が開催されますので、是非ご参加下さい。

2017年10月26日木曜日

データ入力のお願い

皆さんの地方では台風の被害は如何でしたか。芦屋では猛烈な風が一晩中続きました。秋蒔き野菜の芽が全部風で倒れてしまいましたが、その他は然したる被害は有りませんでした。被害に遭われた皆さんには、お見舞い申します。

台風21号が選挙の影に隠れてしまい、全国で避難が遅れたり警報そのものが有効に活用されなかったケースが有ったようです。当選して万歳を叫んでいる人たちが有りましたが、その上部に警報の文字が流れて行くというテレビ画面を、皆さんはどうご覧になったでしょう。土砂崩れで人が亡くなっているのに、万歳でしょうか。苦労は分かりますが、その時に本当の人間性が現れると思います。

さて、25日に12月掲載分の雑詠選が終わり、編集長にお渡ししました。随筆や主宰の句、選後評などの文書は、前主宰の時のように原稿用紙で編集部に渡すのではなく、パソコンで作った文書を、直接データで編集長に送信します。転送された日光印刷でパソコンに入力する手間が掛かりませんので、速やかに編集に掛かれます。「雑詠後半を読む」や「添削実例」など、九年母誌の為に様々な文書の作成をお願いしています。これらの文書も、パソコンの打てる方は是非、ワードなどのデータで編集長宛にお送り頂ければ、印刷費も安くなり、助かります。ご協力をお願いします。どんどん新しい体制に変えて行きましょう。


2017年10月19日木曜日

する・あるの句

ふれあいの祭典俳句フェスティバルの応募句の選と明石市高年クラブの新春俳壇の選が終わり、今月最大の山が終わりました。次は明後日の西播磨俳句大会と30日の摩耶山俳句大会、二つの大会の選者です。ここしばらくは「九年母」12月号の雑詠選に没頭します。

さて、上記の俳句フェスティバルの選をしていて気になったのは、下五が、遠出する、夜なべする、便りあり、詩集ありなど、する・あるで終わる句が散見された事です。するとか、有るとか言う必要があるでしょうか。例えば、長き夜の文箱に母の便りなし、で俳句になるでしょうか。つまり、有るとか無いとか、するとかしないとか、説明になっているのです。説明調にならないようにするには、どうしたら良いでしょう。そう、「かな」とすることです。
            長き夜の文箱に母の便りかな
       
「かな」と止めることによって説明調が抜けて、俳句らしい止め方になります。

2017年10月9日月曜日

秋の浜

 運動会を終えた小6の孫が、魚釣りに行きたいとやって来ました。拙宅から車で15分も走れば、南芦屋浜の海釣公園があります。決して美しい海とは言えません。芦屋マリーナに出入りするプレジャーボートや大阪港への入港待ちのタンカーが屯し、近くには芦屋市や西宮市の下水処理場もあり、釣った魚を食べるには、可成りの勇気がいります。しかし、魚信(あたり)を楽しむ程度の事は十分出来ます。景色は素晴らしく、大阪湾を取り巻く山々や淡路島、遠くに霞む四国の山も眺められます。

 それにしても暑い一日でした。大阪では29度とか。防波堤に竿を並べて座っていると、肌がじりじりと焦げていきます。木陰に入るとさすがに秋風が心地よいのですが、直射日光はまだ残暑そのものです。

 防波堤には三連休とあって、大勢の家族連れが竿を並べ、サビキの餌に使うアミエビの匂いが立ち込めています。しかし、潮が良くないのでしょうか、他の人達もさっぱり釣れていません。2時間の内、鉛筆の様なサヨリを一匹釣り上げた人が一人だけでした。帰りに、彼の希望で、いつものスパ「水春」に立ち寄り、大阪湾の海底1300メートルから汲み上げた温泉に浸って来ました。44.8度の湯に、うんうん唸りながら浸かりました。久し振りに気分転換出来た、秋の一日でした。
 

2017年10月2日月曜日

櫻忌

今日10月2日は、前主宰五十嵐哲也先生の奥様で、昨年亡くなられた櫻さんの命日です。お嬢さんに電話を差し上げたら、今日は雨の中を墓参りに行かれた由。奇特な事です。それにしても時の経つのは早いもので、もう一年になるのですね。ご冥福をお祈りします。

播水旧居の、2回目の遺品整理も終わり、播水の遺品の大半が姫路文学館に寄贈されました。哲也先生宅の向かいの、長男さんが住んでおられた建物は既に取り壊されて更地になりました。播水旧居も、残念な事ですが、もうすぐ消える予定です。寂しい事です。

今日は、兵庫医大病院に動脈瘤の検査に出かけました。朝8時30分に採血室に入りましたら、受付番号が198番。ものすごい行列でした。左腕の血管から採血し血液検査を受け、造影CT室で右腕の血管に造影剤を注入し、CTによる検査を受けました。検査の結果、脾臓内の動脈瘤は18ミリと、今年の3月とほぼ同じ大きさでした。20ミリを超えると危ないと言います。来年4月に再度検査を受けますが、体の中に爆弾を抱えているような気分です。
皆様もお大事になさって下さい。

2017年9月26日火曜日

露という季題

今日は野鳥句会に出席しました。席題は「露」を出しました。抽象的でむつかしい季題です。野鳥句会の皆さんは初心の頃から、見なくても詠めるように訓練されていますから、この様な季題でも難なく詠まれます。

    露けしや水子地蔵の淡き笑     みか子  巻頭句
    昨夜の星零れて結ぶ野辺の露    成子   
    露けしや人を呑みたるたる山の肌  露子

どの句も特選に頂いた句です。兼題で一ヶ月掛かって詠んで来た、宿題の句では有りません。席題として与えられた季題を、席についてから10分から20分で詠むのです。その句が今日の巻頭を飾るのですから、素晴らしい実力です。このようにして作句力を磨いて行くのです。

ところで、露という季題はどんな季題でしょうか。まずイメージされるのが、濡れる露、水滴としての露です。

    村雨の露も未だ干ぬ槙の葉に 霧立ち上る秋の夕暮   寂蓮法師

この歌が日本人の露に対する美意識を象徴しています。露は乾くもの、はかないものの象徴です。この儚さから、露に対する次のイメージ、つまり儚いという思いが引き出されてくるのです。

    露けしや無実の皇子の屋敷跡    伸一路

政治の謀略の犠牲になった皇子の命に儚さを感じ、露けしという季題でその思いを表現したのです。単に濡れる水滴では有りません。私の想いを語ってくれる言葉なのです。季題の使い方の一例になると思います。