2018年3月15日木曜日

季題の心

 忙しい毎日が続きます。稿責の波が寄せては返しています。そんな中で、昨夜は11時までかかって確定申告書を書き上げ、今朝一番で提出して来ました。その後、12時8分のJR東西線に乗って北新地駅に向かい、大阪支部の例会に出席しました。
 大阪支部例会では、従来の兼題に加えて、今回から席題が一つ加わりました。今回の席題は「水草生ふ」でした。仮名で書くと「みくさおふ」・「みづくさおふ」と表記し、万葉集の時代から使われている言葉だそうです。
 文語体の「水」の仮名表記は「みづ」ですので、水の付く言葉はすべて「みづ・・」と書きます。ホトトギス新歳時記では、この表記は厳格に守られていますが、角川俳句大歳時記では口語体で「みずくさ」と表記されています。若い人が俳句結社に入って来ない、と悩む時代ですが、水を「みづ」と書く文化に若い人がついて来れるでしょうか。学校のテストでは、水の読み方は「みず」が〇で「みづ」は✖。伝統俳句が伸び悩む要因の一つに、この様な国語表記の問題があると思います。今後どうすべきか、悩ましい問題です。
 ところで、「水草生ふ」という季題はどんな時に使うのでしょうか。散歩していたら水草の芽が伸びていたので、その様子を俳句にしてみた、ということも有ります。それはそれでよいのですが、もっと完成度の高い俳句を詠もうと思ったら、この季題の心を探ってみる事です。
 いつも句会でしている様に、この季題が楽しいものか、嬉しいものか、悲しいものか、淋しいものか、という分類で考えてみましょう。新しい命が育って来るのですから、少なくとも悲しく淋しいものでは無い。ならば楽しく嬉しい思いを詠んで、この季題に思いを語らせたら良いのです。
         水草生ふ煌めく影を抱きつつ     伸一路
煌めく影とは何でしょう。小魚の群が、春の日を受けて煌めいているのです。このように詠むと、春が来た喜びが感じられると思います。「水草生ふ」という季題が楽しく嬉しい思いを語ってくれているのです。題が出たら、先ずこのようにして季題の心を探ってみましょう。

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