2018年3月27日火曜日

「水温む」と「水草生ふ」

 今日で、今期の講座や句会がすべて終わりました。雑詠の選も終わり、編集部に渡しました。今月最大の仕事は、住吉大社松苗神事献詠630句の選と選考会でした。明日はいつものスーパー銭湯に浸かって、ゆっくり休ませて頂きます。
 さて、昨日の野鳥俳句会では「雲雀」と並んで「水温む」という兼題が出ましたが、私は敢えて「水草生ふ」という席題を出しました。「水温む」と「水草生ふ」、この二つの季題がどう違うのか。野鳥句会の皆さんにも難しかったことでしょう。読者の皆さんなら、どう使い分けますか。
 先ず「水温む」という季題。この季題はどんな心を持っているのでしょう。

      やうやくに得し小康や水温む   伸一路

冬という厳しい季節、大病という厳しい人生。このような厳しい環境がようやく解けて来た時、水は温みます。水が温むとはこういうことなのです。ほっとする、安堵感です。
 これに対して、水が温んでから暫くして、水草の芽が伸びて来ます。芽が伸びるとは、未来に対する期待感です。「水草生ふ」とは、この様な前向きな期待感を持つ季題です。

      遣唐使発ちたる掘や水草生ふ   伸一路

東シナ海を渡って大唐帝国に渡ろうとした、期待感が表現出来たでしょうか。
 かつて「春早し」と「春浅し」との違いを勉強しましたが、俳句の基礎は季題の心を学ぶことだと思います。

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