2018年4月17日火曜日

第1回追悼句会

 4月15日日曜日、神戸市須磨区の須磨寺にて、定例の吟行に替えて、九年母会の先々代の主宰五十嵐播水、先代の主宰五十嵐哲也両先生の追悼句会を開催しましたところ、会員の皆さんが69名も参加して下さいました。
 昨年の4月は哲也前主宰の1周忌を、神戸市北区有馬にある念仏寺で開催しました。この時は元同人会長で前住職のうろお老師がお元気で、読経をして下さったのですが、その後老師が遷化され、後を継がれたご子息様は俳句をなさらず、当会との縁が薄くなってしまいました。また当会の会員からは、足腰が弱ったので有馬まで行くのが辛い、という声が多数寄せられました。そのため播水旧居に近く句碑もある須磨寺での開催を立案、運営委員会の了承を得ました。しかし相手は1200年の歴史がある、源平所縁の大古刹。そう簡単に行く訳がありません。そこで、近くにお住いの岩水ひとみさんに相談、幸いにも彼女がお寺の管長様や関係の方と親しくされている事から話が順調に進み、下見やお寺との細かい打合せを重ねて、今回の開催に漕ぎつけたものです。
 句会では、九年母会員の十八番の「師の句碑」を詠んだ句が山のように出されました。句碑は墓石の様な記念碑です。亡くなった方に墓石の立派さを褒めても喜ばれないでしょう。それより故人との様々な思い出を句にした方が供養になるというも。ですから、私が頂いた句碑の句は1句だけでした。句碑を介してでなければ追悼が出来ないというのは、寂しい限りです。先生と一緒に吟行をした思い出や句会で感銘を受けたことなど、他にも詠むべき材料はある筈です。また、それを詠むのが追善供養というもの。詠むだけの思い出が無ければ、他の景物を詠んで、両先生にご覧いただけばよいのです。「先師句碑先々師句碑寺若葉」と、石材店の広告のように句碑を連ねるのは如何なものでしょう。追悼とは何か。来年の追悼句会ではこの辺りをしっかりお考え頂きたいと思います。
 須磨寺の土子課長様には大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。
 
 

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